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洋服好きはお金を出す気にならないブランド

HelmutLangは、コムデギャルソン、ヨウジ・ヤマモトと並ぶ、モード界の知性派デザイナー。余分な要素をぎりぎりまで削ぎ落としたシンプルなデザインが特徴。その姿勢は徹底してお目ソ、トレンドを超えた孤高の人。まさにミニマム職人といえる。「自分の作る服は服以上でも次でもない」とは本人の弁。そのため、時代の流れが装飾的な高級志向に流れると、あまり相手にされない。その一方で、ここ数年のように「素材とシルエットが注目される時代」になると、彼の作る洋服もにわかに話題になる。また、単なるファッションというよりも、「哲学」として彼の服を選ぶ人が多い。その点でも、コムーデーギヤルソン、ヨウジヤマモトと似た消費のされ方をしている。日本での固定ファンに業界人が多いのも同じ。しかし、あまりにもシンプルなため、巷で溢れている服との差を見つけるのは一般人には困難。そのため、生半可な洋服好きはお金を出す気にならないブランドともいえる。でも、コアな洋服好きにはその微妙な差がたまらないとも。

ファッション業界は下克上の激しい世界

ファッション業界は下克上の激しい世界である。いまから二〇年余り前に、私は、日本を代表していたアパレルの雄レナウンとオンワードの商法について著した。当時、将来どちらがトップの座につくのか楽しみであった。それほどまでに売上高が措抗していたからだ。七〇年代のトップはレナウン。九〇年代になって、レナウンは売上高二三一八億円という最高記録を達成した。しかし翌一九九一年に赤字へ転落。以来、下降線をたどり、それに代わって順調に業績を伸しできたオンワード樫山が一九九七年にレナウンを追い越してトップに立った。一方のレナウンは現在も踊り場にいる。ところが、後続のワールドが急成長を遂げ、二〇〇〇年度の売上高一九三一億円を計上し、オンワードを抜いて第一位の座についた。このような世界なのだ。

仕立屋にとっては腕のふるいどころ

服飾史を眺めていると、18世紀のフランスではさまざまなことが起きている。たとえば既製服は、1718年エヴルー館の建造と同時期にパリではじまっている。また、当時の新聞には、「腕が良く仕事の早い仕立屋を見つけるのが大問題だ」というコラムが載っていたりする。そしてフランス革命(1789〜1799年)がはじまるや、パリにいた一流の仕立屋たちは亡命した。だが、革命によってモードの民主化も進んだ。すでにはじまっていた既製服が、より高品質で広範なものとなる。1791年、男性誌の《ケナンユーヌ》と女性誌《マダムーテヤール)では、誌上で見た既製服を注文できるようにした。両誌は通販誌の先駆者であった。フランス革命につづいて、ナポレオンーボナパルトが登場する。ナポレオンの登場は、じつは仕立屋を活気づける要因ともなった。彼はしばしば軍服姿の肖像画を描かせているが、濃紺地に金糸刺繍を施した軍服を、パリだけでなくサヴィルロウの仕立屋でも誂えていたりする。しかもそれは、現代にまでいたる軍服の基礎を築くものとなる。仕立屋にとっては栄誉であると同時に、大変な広告効果を狙える仕事であった。また、皇帝に上り詰めたナポレオンの戴冠式や、それ以降の宮廷での衣裳も、仕立屋にとっては腕のふるいどころであった。


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